壁の向こうのあの雲
設計図に描かれた雲は、白くもなければ、やわらかくもない。それは境界のかたまりで、この図面ではひとまず描かないネットワークを囲い込んでいる。何年も経ってから、壁の向こうで低周波音が鳴りはじめた。冷却と排熱は一晩じゅう動きつづけ、耳栓を替えても、眠りはやはり浅くなっていく。
図面上の省略は、偽りではない。配線をすべて広げてしまえば、図面はもはや図面ではなくなる。図面を見る人は、その線のかたまりの中に何かがあることを知っているし、必要になれば戻って展開できることも知っている。あの雲の正直さは、すべてを描き出したことにあるのではなく、余白を空無であるかのように装わなかったことにある。
後に変わってしまったのは、「ひとまず」という二文字だった。ひとまず描かない、が、しだいに、知らなくていい、と聞こえるようになった。
機械室の中ではイヤーマフが必要だ。壁の外では、耳栓でも足りない。その音は爆音のようでもなく、一度きりの工事のようでもない。爆音には少なくとも裂けるような一瞬があり、工事にはいくらか、終わりを待てる終業がある。低周波音はもっと厄介だ。はっきりした出来事の境目を持たず、ただ低く、続いていて、人に「ここまで」と言える瞬間を見つけさせてくれない。
多くの騒音条例は、終わりの時刻を待つことに慣れている。パーティーはいずれ散会し、工事は止まり、車は走り去る。壁の向こうにパーティーはない。ただ、散会することのない機械室が一つあるだけだ。