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風音が消えたあと

「機械が呼吸している」という言い方は、まず引っ込めたほうがいい。風音がまだあるうちは、それは排熱を生命のように聞かせてしまう。風音が小さくなったあとには、むしろその誤認は軽くなる。聞こえないものはもう処理済みであるかのように。静けさが必ずしも人を欺くわけではないが、それは粗い手がかりをひとつ減らしてしまう。

データセンターの風は、軽いものではない。サーバー区域は 92 dBA 近くに達することがあり、ラックのそばではさらに高くなる。そんな音を、胸郭のなかの穏やかな上下として想像しつづけるのは難しい。それはむしろ、熱が空気を通るときに残す粗い手がかりに近く、どこかの熱が外へ出なければならないことだけを示している。

この手がかりをロマン化する必要はない。うるさく、鈍く、持続し、そこに優しい律動のようなものはほとんどない。それでも少なくとも、熱を不器用なかたちで人に触れさせてはいる。見えるのでも、理解できるのでもなく、ただ耳のなかで、何かが押し出されていると知るだけだ。それを呼吸と呼ぶのはあまりに滑らかすぎる。それをただ消えるべき騒音とだけ見なすのも、やはり滑らかすぎる。

液冷は、このことをさらに聞こえにくくする。冷却液は 45°C でキャビネットに入り、およそ 55°C になって出ていくことができる。ファンが減り、ある部屋が実際に少し静かになることもある。それ自体は悪いことではない。厄介なのは別のところにある。熱が減ったのではなく、空気からコールドプレートと配管へ移っただけなのだ。かつて耳で触れていたものは、のちにひとつの温度差になる。

自分から data center hum を流し、それをホワイトノイズとして扱う人たちがいる。一方で、別の hum は誰かの夜に入り込み、止まろうとしない。より見過ごされやすいのは、風音が減ると、熱までそれに合わせて減ったように見えてしまうことだ。けれど風音は少し小さくできるし、取り去ることさえできる。冷却液はキャビネットを出るとき、なお温度差を抱えている。配管がそれを運び出し、別の場所の空気がその熱を受け止める。