メインコンテンツへスキップ

第一拍はまだ鳴っていない

先に起こるのは、たいてい音ではなく、軽く並んだ肩の列だ。

指揮者の手はまだ空中にあるのに、空気はもう胸腔へ入っている。完成した音だけを聴けば、その一瞬は最初の音の前にある空白のように思える。けれどリハーサル室では、誰もそれを空白とは受け取らない。それは待機でもなければ、飾りとしてそろえられた姿勢でもない。手首の合図が狭ければ、胸腔の開きも少し浅くなる。予備拍が広く引かれれば、吸い込まれる息も重くなる。最初の音がまだ出ていないうちに、音はすでに一度、重さを変えられている。

だから、いくつかの間違いも音より少し早く起こる。早く吸った人はもう息で満ちているのに、手はまだ下りてこない。その息を、しばらく胸の中に押しとどめるしかない。少し長く待たされると、第一句はかえってこわばって出る。遅く吸った人は、声を出すときに息がまだ落ち着いておらず、音の頭がそっと擦れたようになる。客席には、出だしが一瞬ざらついたようにしか聞こえない。けれどリハーサルでは、その毛羽立ちが急に生えたものではないとわかっている。

さらに細かなところでは、こうした処理はほとんど、指し示せる痕跡を残さない。誰かが息を半寸ゆるめても、隣の人には聞こえないかもしれない。けれど本人は、その息がもう少し古くなったことを知っている。吸い直せば遅れる。吸い直さなければ硬くなる。音がまだ場に入ってくる前に、身体のほうが先に、二つの悪い選択肢のあいだで折れ曲がる。

だからといって、その一瞬が怪しいということではない。それがなければ、合唱はそもそも始まらない。各人が自分の肺だけに従っていたら、第一句はすぐに散ってしまう。ただ、そろうということは、それほど神秘的なものではない。ときにはそれは、間違いがあらかじめ低く押さえ込まれていて、まだ音になる暇がない、というだけのことだ。

本当に張りつめている場所は、往々にして音より少し早い。指揮者の手はまだ宙に浮いたまま、誰かはもう吸い終えていて、第一拍の前にあと半秒だけ耐えるしかない。