同じ一度の停止
この一度の停止を二回撮る。ただし、二回ともタコを追ってはいけない。夜のサンゴ礫の上で、一匹のタコが明暗の入り交じる底面を這い、やがて減速し、腕の先を石の隙間へ差し込む。移動が停止と探索へ移り変わるその段階で、外套膜の後端から暗い色が身体の両側へ分かれ、頭部で合流し、さらに背側の腕端へ伝わっていく。それは皮膚全体が一斉に暗くなるのではなく、前縁と経路をもった運動である。後端から始まり、身体の両側が受け取り、最後に腕先へ届く。既存の連続映像はこの経路をはっきり残しているが、タコが毎回完全に止まってから変色を始めた、とまでは書き込んでいない。減速、隙間の探索、皮膚上の伝播は同じ短い時間の中に押し込まれている。どれか一つの動詞が先走れば、まだ測られていない機能のために因果を作り上げてしまうかもしれない。
一回目は、タコを追跡しうる方向に沿って撮り続ける。比較可能な、パルスのある停止とない停止を別に用意し、映像を観察者に一コマずつ見てもらい、タコがどのフレームですでに止まっていたかだけを示してもらう。運動擬態という説明は、ここで失敗しうる検査を一つ受けることになる。もし暗帯が直前の這行運動を書き継いでいるのなら、二つの判断時点は安定してずれるはずだ。ずれないのであれば、暗帯が停止と同時に現れたとしても、その説明に必要な知覚上の結果は生んでいない。比較に使う断片には、似た運動過程も必要である。一方が急停止し、もう一方がゆっくり減速するなら、ずれたフレームが示すのは素材が公平ではないということだけだ。ここでカメラは、タコが誰を欺いたのかを証明する責任を負わない。ただ、元の映像が一度も測らなかった時刻を待つだけである。
暗帯は元の映像の中で三十三回現れたが、その三十三回はすべて同じ一匹のタコ、同じ一本の映像から来ている。この数字はすでに規則を形づくるには十分に見えるが、実際に反復されて増えているのは、なお同じカメラ位置の中の皮膚の軌跡である。観察者は一人も増えておらず、停止がいつ知覚されたのかも記録されていない。それは、この夜のこのタコにおける動作の結びつきを固定することはできるが、ある機能のために結果を獲得してやることはできない。フィルムを、腕先がちょうど石の隙間へ入ったフレームまで巻き戻す。
二回目は、もうタコについて行かない。レンズは腕先が探った隙間の入口に残し、パルスのある探索とない探索を比べ、前後で中に潜む身体が動き始めるかどうかを記録する。もし暗帯が獲物を驚かせているのなら、肝心な動きは最も目立つ皮膚の上では起きない。カメラが忠実にタコを追えば追うほど、その結果を背後に置き去りにしてしまう可能性が高くなる。たとえ隙間の中で本当に身体が動いたとしても、パルスがなく同じように隙間を探った断片と比べなければならない。そうでなければ、それを驚かせたのは差し込まれた腕先だけだったのかもしれないからだ。残ることにも代償はある。タコは画面の外へ出ていき、石の隙間には獲物がいないかもしれない。いたとしても、動かないかもしれない。まだ実行されていない撮影の中へ、逃走をあらかじめ入れておくことはできないし、静けさを陰性所見として数えることもできない。
だから二回目は、この鈍くて具体的なことだけをする。腕先が引き戻され、タコが次の礫へ向かって動いても、カメラはもう構図を直さず、主体を中央へ拾い戻さない。同じ細い隙間を見張り、パルスの前後の短い時間を残す。暗帯が腕端へ届いたあと、レンズは石の隙間に留まり、計時を続ける。