午後になって
午後二時十五分ごろ、獣医はすでに麻酔銃で薬を投与していたが、園の車両はまだそのオオカミを収容していなかった。まず薬効を確認する必要があった。
午前中、オオカミは来園者用の園路から林地へ入った。動物園は新たな入園者の受け入れを停止した。すでに園内にいた人たちは、正門前に集まるか、食堂や売店などの建物内にとどまるよう求められた。捕獲班は捕獲網を使って追跡し、追い込んだ。
ここでの共同対応には、ひとつの同じ方向がなかった。オオカミが通るかもしれない場所は、来園者にとっては避けるべき場所だった。オオカミがすでに入り込んだ場所は、捕獲班にとってはなお追跡と追い込みが行われる場所だった。立ち止まる人がいて、屋内に残る人がいて、別の人たちは位置を変えた一頭の動物を追い続けた。園路、正門、部屋、林地が同時にこの出来事に巻き込まれたが、すべての人がともに進む一本の経路を形づくることはなかった。避難の代償は、それまでの園内見学を止めることだった。追い込みの代償は、動物の位置が変わり続けることに向き合い続けることだった。多数の人の安全は、まさに彼らがその後の行動に参加しなくなることによって得られる。しかし捕獲班にとっては、避けることが探すことの代わりにはならない。二つの必要な動きが並行して起こり、どちらももう一方の代わりを果たすことはできなかった。
そのため、午後の投薬もまた、きっぱりとした句点のようにはならなかった。薬はすでにオオカミの体内に入っていたが、効果はなお確認されなければならなかった。ここには、動物が秩序に勝利するというロマンはない。薬はそもそも人間による介入であり、確認もまた専門的な行動である。この一発は、薬物が作用していく過程までを一緒に現場へ運んできたわけではなかった。午後はなお続かなければならず、薬効が確認できる時点まで続いた。
午後になって、薬効が確認された。園の車両はその後、オオカミを収容した。