近くの岩面
鯨の死骸は大量の有機物を海底へ運ぶ。近くの岩の上では、一〜二ミリほどのイソギンチャクが密な一層をつくっている。鯨骨は輪郭が大きく、まず画面を占める。カメラが少し外れると、ひとつひとつのイソギンチャクは小さな点に近く、多くの小点がつながって、石の面には細かく連続した肌理が現れる。骨格は縁によって一目でそれとわかるが、その覆いは、たくさんの小さな身体がひとつながりになってはじめて、石面の粒や起伏のあいだから浮かび上がる。它らは鯨骨のすぐ近くにあり、同じ一枚の写真の中に、骨の縁、短い海底の一部、そしてその覆いを収められるほど近い。鯨の死骸がもたらした物質と、イソギンチャクが付着している場所は同時に見えているが、それぞれ別の表面に落ちている。
この「近く」は、はじめ横方向の距離のように見える。海底から下へ二十センチにも満たないところで、薄い堆積物の下はすでに玄武岩になっており、そこにはごく浅い奥行きも生じている。鯨の死骸が入り込んだのは、材質が均一な一枚の底板ではない。ごく短い距離の中で、堆積物と岩石が隣り合っている。海底に沿って数歩移動することも近さであり、下へ一本の定規にも満たない長さもまた近さである。同じ方位の語が、二つの方向を重ね合わせている。玄武岩は周囲の区域の下伏地質に属し、イソギンチャクの記録は死骸のまわりの岩面に残っている。前者はこの近場に浅い層構造を示すが、付着している一つひとつの岩面の岩性をあらかじめ書き定めてはいない。二つの観察は隣り合っているが、それを「玄武岩上のイソギンチャク」という、より口当たりのよい一文に押し縮めることはできない。
そのため、ひとつの説明が自然に近づいてくる。鯨の死骸が近傍の条件を変え、岩面が付着を可能にした、というものだ。この役割分担は、ちょうど噛み合う二つのピースのように整っている。現地調査はたしかに、死骸の周囲の岩石上に密な集まりがあることを記録している。研究所で観察された遠方の岩石には、同じ分布は見られなかった。だが調査は、鯨骨生物群集の影響と岩石材料が、この集まりにそれぞれどのように関わったのかを切り分けてはいない。距離は明確な差異を与え、表面は明確な着地点を与える。二つは同じ画面の中に合わさっているが、それはまだ完成した因果の経路ではない。近くと遠くの差が本物であることも、鯨の死骸による大量の物質投入が本物であることも確かだ。けれど二つの事実をつないで、それぞれが役割を担う一組の機構にするには、さらに一歩を踏み出している。その一歩は一見とても短いが、ちょうど今回の観察が足を置ける場所を越えている。
だからといって、目の前の関係が空白になるわけではない。鯨骨の量感は、隣接する表面を自分の延長へ変えてしまうことはできないし、岩面の密な覆いも、それによって別の出来合いの原因を手に入れるわけではない。二つの海底の隔たりは短いが、材料の変化がその距離に厚みを与えている。カメラが鯨骨から近くの岩面へ移ると、一〜二ミリのイソギンチャクがそこでびっしりと一層をつくっている。鯨の死骸と岩面は、同時に画面の中に残っている。